さらに俺の土曜日もすぐなくなってしまうのだろうか?

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

東京がTOKYOだった話

9月2度目の三連休は東京へ。アルバイト先に顔を出す(「遊びに行きます」詐欺を3年間もしていたら、当時働いていた環境が今年で最後、という事になってしまったので急遽顔を出すことに)事がメイン。

なんやかんやで車を入手したので岡山空港経由で東京へ。新幹線の方が酒も飲めるし移動中考え事する時間もあるので好きかも知れない、という事もやや思いつつ。結局は岡山空港が山の中にあることが原因な気もするが。

いつからかTwitterで東京を「トーキョー」表記するようにしている。深い意味はないけれども、そっちの方がちょっと非日常感が出ると勝手に思っているので使っている(Twitterにも書いたけれども、森博嗣の「ミステリィ」表記と同じ、ということにしている、森博嗣にどういう意図があるのかは知らないけれど)。ただ、今回行った東京は「トーキョー」ではなく「TOKYO」だったと感じられた。

ラグビーW杯開催中ということ、1年後に五輪を控えていることという事が要因であるとは思うが、外国人の多さ、そして外国人向けの街の表記や宣伝の多さが目に付いた。五輪のPRだけでなく、所々で「TOKYO」表記が見られたのは印象的。タカラ缶チューハイでさえ「TOKYOドリンク」を自称していた(35周年記念、というのもあるみたいだけれど)から驚きである。

外国人向けのコンテンツの多さという点では京都が「KYOTO」になっていると前から思っている。その是非を問うつもりは無いけれども、日本にいながらやや異質な雰囲気を感じていた中で、今回東京でそれを感じられたのは意外であった。

京都の場合と異なるのは神社仏閣に加えて新しい建物からも「TOKYO」感を出しているということ。近未来感、というべきなのかも知れないけれど、神社仏閣等々から出る「世界から観た日本」という意味での「TOKYO」だけでなく、「日本から世界にアピールする」という意味での「TOKYO」が感じられたように思えた。そしてそういう中で、学生時代を過ごした「トーキョー」とは変わってきているのだな、という事を感じた。

まあ、せっかく日本に来た外国人が安直なコンセプトのしょうもない居酒屋を「TOKYO」だと勘違いしないことを祈るばかりである……。