さらに俺の土曜日もすぐなくなってしまうのだろうか?

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

「東大なんか入らなきゃよかった」を読んでしまった

自分が卒業する辺りから「東大生」をウリにする番組が増えてきた。学生時代イベント会場のバイトをしていたけれど、そこのプロデューサーさんもコンテンツとして優良というようなことを言っていたし、現に働き出してからそれ関連の話題を振られることは少なくない。サッカーの練習をたまに見ている中学生に同級生の話をすると相当盛り上がったので、相当浸透度の高いものなのだと思っている。

出演している人を貶すつもりは全くないし、プロとして諸々のメディアで活躍している人は寧ろ応援している。とはいえ番組によっては酷いものもあるので、自分からその手のものを見ることは一部例外を除いては避けている(そもそも自室にテレビを置いていないという物理的な要因もある)のが正直な所。

そんな中この間本屋をフラフラしていると平積みにされた「東大なんか入らなきゃよかった」というあからさまなタイトルの本を見つけてしまった。多分今日自分がその本を見つけても特に何も思わなかったと思うが、日曜日の午後に見つけてしまったのが悪かったのだと思う。働き出して4年になるのに未だに月曜日の良い迎え方を模索しているのも恥ずかしい話ではあるけれど……。

取り敢えず積んだら二度と読まないと直感的に思ったので一気に読むことにした。内容は東大に入っても、出てもしんどい人がいるという内容を大まかに書いた後にしんどい人のインタビューで具体的に掘り下げるという流れ。著者が東大OBであることもあってか終始内容についてはある程度納得感はあったと思う。

前半部分は基本的には知っていることの再確認というような感じで特に目新しいこともなかったが、後半の個人に焦点を当てた部分については考えさせられる部分もあった。

news.yahoo.co.jp

↑の記事に本の一部と大体同じことが書いてある。記事では逆学歴詐称とか、薄給の仕事をしていることからも男性を「可哀想な人」というように取り上げていると思う(週刊誌的には「東大卒なのに○○」というのはやっぱりキャッチーなのだろう)が、本当にそうなのだろうか。

確かに世間一般的には成功していないとみなされて、本人も健康上辛いこともあるかも知れないが、「生活に満足している」「図書館で借りた本が読めれば良い(↑の記事には無いが本の中にはそういう記述がある)」ときちんと割り切れていることを考えるとこの男性はある意味では可哀想な人では決してなく、判断の基準がぶれない強い人なのではないかと思う。周りに流されないとか、独自路線というのはこういうことを言うのだろうし、卒業してから独学で絵を習得(本によれば東大図書館で歴史の資料室を借りて模写を繰り返したとのこと)する時点で所謂ハイスペックであるとも思うし、表現は稚拙かも知れないが「教養」「素養」がしっかりとあるのだと思う。

結局自分に置き換えて彼是と考えてしまうのだが、到底自分は真似が出来ないとまず思う。自分が仮に今無職になってそこから何かやろうという気になるのだろうか、そもそも「何か」が思いつくのだろうか。「世捨て人になりたい、仙人になりたい」と冗談では言うものの、少なからず世間体は気にしてしまう。出世とかどうでもいいと言いながらも会社の昇格試験はちゃんと受けてしまうのである。大人だから勿論その辺りは折り合いをつけないといけない部分はあるけれども。

敬遠していたジャンルだったけれど意外とちゃんと読んでしまった。20代も後半になっているのでもう少し凡人としてまともな「社会人」になっておきたいわけで、いつまでもちょっとレールを外れる人になんとも言えない羨ましさを感じてしまうのは良くないことなのかも知れない。

所謂「レールを走る」ことはそもそも凄いことだと思っているし、自分が羨ましく感じる「レールを外れる人」はレールではなく滑走路を走っているような感じが最近しているので。

 

※「東大までの人」という表現がこの本でも出てきた。よく出てくるけど、周りにそういう人がいないのはたまたまなのだろうか。もしかすると周りが勝手に判断しているだけなのかも知れない。