さらに俺の土曜日もすぐなくなってしまうのだろうか?

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

サポーター

 少し前の話ではあるが、ボールボーイを小突いて退場になったサッカー選手が問題になった。(https://news.yahoo.co.jp/list?t=j2tokushima_ballboy)

 これ自体あってはならない事で、出場停止を2試合喰らうのも当然だとは思う。ただ、それ以上に酷いのはサポーターの行為ではないか。出禁になって当然である。

 「サポーター」という言葉の通り、あくまでもピッチに立つ選手を助け、応援する立場であることを忘れているような気がしてならない。勿論あたかも選手のようにその場の雰囲気を感じとる、共有する事は素晴らしいのだが、いつの間にか自分たちが偉いというように勘違いしているような気がする。他のスポーツでも、これはあるのではないか。

 よく選手の方がインタビュー等で「応援のおかげで」というような言葉を残すが、これは選手の側から発せられるからこそ意味があって、スタンドの観客が「自分たちが勝たせてやった」というような態度を取るべきでは無いはず(勿論チャントで独特の雰囲気が出来るのは否定しない)。お金を払って観に行っている「お客さま」であるからといって何をして良いわけではない。

 チームや選手への愛着があるのは良いこと(観客動員が少ないと経営が成り立たないのがプロスポーツである)だが、あくまでサポーターであり、言い方こそ悪いが観る立場でしかない以上超えてはいけないラインがあるのはもう少し守られるべきかと思う。歪んだ愛着のせいで近より難い雰囲気が出ない事だけは祈りたい。誰でも最初は「にわかファン」なわけで……。

 

サッカー部に顔を出した

 5日、当時の顧問に呼ばれてサッカー部の練習に顔を出した。中学生チームに対して圧倒的数的不利の中大人チームとして練習試合も行い、どうにか走れた(もう少し体重を減らさないといけない)。

 自分が在籍していた時は「部」だったが、今は人数不足になっていたこと、顧問が不在だったこともあり「同好会」という扱いらしい。そのせいか練習も週三回に制限されていて、一回あたりの練習時間も短いのだとか。試合中は楽しそうだったので、今いるメンバーがそのまま続けて欲しいなと先輩風を吹かせながら思っている(大学に入ってやらなかった自分が言えたことではないのかも知れないが)。関わり方は人それぞれなのかも知れないが、いつかまた対外試合をやるようになることを期待している。

 顧問だけでなく、合同練習をしていたような人や外部コーチの方とも知り合ってから長い。こうやって今も関係があるのはなかなかに恵まれているのだと月並みながら感じた。

 

岡山・大阪に行った

 3日、4日を利用して岡山と大阪へふらりと。本当は東京に行って、大学の同期や寮の後輩に会いに行くというのでも良かったのかも知れないが、それは6月の寮の例会の時にしたい。普段は夜行バスやら、LCCやらを使う事の方が多いが、今回は鉄道のみで移動することに。出発の二日前に計画した割には段取り良くできたと思っている。

 3日は岡山→神戸。岡山では大学での友人とたまたま時間が合ったので食事をすることに。お互い新会社員であるので、話題の中心もそれになるのは必然か。「大都会岡山」(これを岡山の人に言うと怒られるのだが)と言われるわけだが、駅周辺の商店街には意外と飲食店が少なかった(駅の近くのイオンにまで行けばそれなりにあったらしい)。

 その後倉敷に移動。所謂美観地区を見ることに。15年くらい前にも来た記憶はあるがその頃よりは楽しいと感じることが増えたのは当然。たまたまここでも倉敷在住の知人と会え、かつ案内もしてもらえたので非常に良かった。駅の近くであるにも関わらず雰囲気が出ていたのと、あとはそこに住んでいる人がいることは印象的。地方の観光地が無理をしているのを見るのが苦手(全く関係ないがアニメの「サクラクエスト」でそのようなシーンが多いので思わず苦笑してしまうのである)なのでそういう点で倉敷は良かった。街並みの歴史の予習をしなかったのはやや後悔。どうやら江戸時代の街並みを保存しているらしい。

 その後神戸へ。姫路までは新幹線を使うという判断がやや遅れたので時間を浪費した感はあった。次回以降は気を付けたい。カプセルホテルは快適だったので、口コミサイトも馬鹿にはできないなといった所。

 4日は神戸市内を回る。中華街や震災の遺構を見るなど。パッと見では震災の雰囲気は全くなくなっていた。言い方は悪いかもしれないが近いうちに四国にも来るわけで、その時どうなるかは頭の片隅には置いておかないといけない。

 昼からは大阪へ。5年前に住んでいたところを見て回る。そこまで変わりはないが、5年経っているという事には驚かざるを得ない。引きずっていることは全くないのだが、あの辺りに行くたびに思い出すことにはなるのかなといった所。昼は同期と会っていた。どこかに行こうかと思っていたが話し込んでしまったのでそのまま帰松。

 2日間フルに使えたのは良かった(酒を飲んでばっかりな気もしたが、そこは気にしてはいけない)。と同時に、新幹線やら特急やらで「時間をお金で買う」感覚も少しわかった気がする。

 

 

松山観光をした

 18年間も松山にいたわけで、一応思い入れは人より強い、という事になっているが、あまり観光地には行かないもの。たまたま観光地の無料券をもらったので、両親が旅行中で暇だったこともあり、敢えて観光をしてみることに。

 まずは伊予鉄松山市駅近くの「でゅえっと」でミートスパゲティを食べた。松山の人間はやたら甘口が好き(刺身醤油も甘い)らしいので、これもまた甘い。割と量が多いので普通で充分。

 タダ券をフル稼働させるために「坂の上の雲ミュージアム」に。三角形の建物の周りをぐるぐると登っていくという順路。地元の人間が見ると(例え原作を読んでいないとしても)地元の有名人に対しての思い入れもあることからかわりと楽しめるわけだが全く知らない人が行ってもどうなのだろうとは思う。ドラマか原作か、どちらかに触れておくと良いのかも知れない。「勉強のために」みたいな理由で小中学生が行っても面白くはないかも(せめて地元の高校生は少し面白味を感じて欲しいが、無理かな(苦笑))。

 その後は近くの「萬翠荘」、「秋山兄弟生誕地」へ。前者は昔の洋館。中まで無理に入らなくてもいいかも知れない。後者は原作を読んだ人は是非行くといいかもという感じ。ガイドさんがいるので、気になること、原作の話をすると喜んでくれる。

 もう一つのタダ券を使うために「松山城」へ。ここまでの4つはすべて松山市駅徒歩圏内にあるので、いかにコンパクトな観光地かが分かる(決して「見るものが無い」というネガティブな発想はしない)。城山を歩いて上ることももちろんできるが、時間のない人はロープウェーかリフトを使う事をオススメする。

 一人で淡々と消化したこともあり、松山市駅に着いてから城山を下るまでに3時間程度で済んでしまった(苦笑)。朝一の飛行機で松山に来れば、ゆとりをもって夕方温泉に浸かることも可能ということが言える(道後温泉も市内中心部からはそう遠くない)。

 少し日本史を齧れば楽しく回れるとは思うので、手ごろな観光地だとは思うが、一時期「修学旅行生を呼ぶ」みたいな流れになったのは謎である()

読んだ本の感想を書く(かも)

 24歳にもなって「本を読め」と言われてしまうのもやや悲しいわけだが、言われたことは素直に受けとめようと思う。週1冊くらい読めれば上出来でしょうが。文庫本と新書レベルの物しか読まないのもこれまた大卒としてどうかとも思うが、ビジネス本の類が非常に苦手なので仕方がない。

 何を読んだか忘れるので面白かったらここに書こうかなと思う。読書メーターとか、ブクログでもいいけど、あの類はなかなか続かないのである。

 「四月病はこじらせた方が良い」というのは持論なので、やろうとしている、あるいはやりたいことは取りあえずやってみようかなといった所。少々失敗しても学生時代よりは収入があるから平気??(謎理論)

 

 

10日間で考えた今後n年

 10日間ほど電子機器を全く触らなかった(何日かおきに触ることの出来る機会はあったのだけれども、触らなかった)。いろいろやることがあったので特に困ったことは無かったが、時折そんな中でも時間の余裕はあるわけで、本を読んだり、人と話したりする時間を取ることが出来た。暇だから読もう、勉強しよう、くらいの気持ちが一番続くのかも知れない。

 ガキの頃の「しょうらいのゆめ」は「〇〇(任意の職業)になりたい」で、そこで止まるわけである。しかしながらこの年齢だとそうもいかないわけで、「将来のこと」を考え(させられ)ることになる。一人の時間はそれが頭の中のメインだった。周りの人間に比べて、具体性が無く、かつ登場人物の少ない人生設計がやや寂しかったのは事実だが、仕方のないこと。実家には少し申し訳ない……。

 将来のことを考えるにあたっていろいろな人に「まずは三年」「石の上にも三年」「最初はつまらないこともある」ということをこの一か月ほどで、直接面と向かってではないものの言われた。人生の、あるいは働いている人としての先輩方が仰ることなのでおそらく正しいことであるのだと思う。どこにいたとしても続けないと分からないことは少なくないはずである。

 今の若い人はすぐやめる(これを「ゆとり教育」のせいにされるのは今一つ納得がいかないが)と言われるわけで、それはごもっともだとも思うわけだが、「しない後悔よりもやった後悔」などと唆す大人もいるあたりが難しい。要は自己責任なのだろうとは思うが。

 取りあえず飯が食えているので良しとするくらいが良いのかもしれない。

郊外の本屋

 休みだったので、午前の用事を済ませた後自転車に乗って(クロスバイクのような高尚なものではなく、通学用の銀色ブリジストンである)夕方は出かけた。昔行っていた場所に数年ぶりに行ったわけだが、郊外の本屋の売り場の一部がセブンイレブンになっていたことには驚いた。

 そもそも高校卒業時にセブンイレブンが四国に無かったので、セブンイレブンを四国で見ることも数年前までは驚きであった(浪人時の昼食は「珍しいから」という理由でセブンイレブンを利用していたことも……。)が、本が売れないのだなあと、普段本をそんなに読まないくせに寂しく思ってしまった。車で来る人間を対象にはどちらもしているのだろうが、なかなかに無理やりなコラボである。

 CDショップが併設されたり、文房具の取り揃えがよかったり(たまに行っていた文房具店の商品がやや日焼けしていたのも悲しかったが……。)、カフェがあったりと割と面白い場所だとは思っているのだが、数年後残っているのだろうか。無趣味な人間の貴重な居場所の一つであるので残ってほしい。

 学生時代は寮に住んでいて、不在でも荷物が玄関に置かれるという便利な環境だったこともあってAmazonを利用することが多かったが、なるべく地元の本屋で買おうかな、といったところ。完全に気分の問題でしかないけれども。

 わりと「スタッフのオススメ」みたいなコーナーが好きなのだけど、それとは別のものを買ってやろうと天邪鬼を発揮したくなるのは謎ではある。

 ちなみに何件か回っても学生時代の教科書は無かった。まあ需要無いか……。