さらに俺の土曜日もすぐなくなってしまうのだろうか?

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

スピッツのライブに行った

 書くことが無かったのか、忙しかったのかはさておき、放置していた。気まぐれなので別にいいのではあるが。

 三連休の中日に念願のスピッツのライブに。どうして学生時代に行かなかったのかという気持ちもあるが、とにかく行けたので良かった。

 セトリはこういうところにあがっている(このようなサイトの存在はあまり良いことでもないのかも知れないが)。昔からスピッツを聴いている人にとってはバランスの良い選曲なので、やや大げさに捉えて、メンバーチョイスのベスト盤であると捉えたい。セトリの順番にCDを焼こうと思う。CDを焼く、という行為、今はもうほとんどしないが、車の中で音楽を聴くためには未だ必要なものである……。

 香川の会場でライブをするのは21年ぶりだったらしく(当時はチェリー等を出して、セールス的には全盛期)、改めて長く活動しているバンドなのだと感じさせられた。50歳の(言い方こそ悪いが)おっさんが香川の地の果てで6000人を相手に盛り上げていくというのはなかなかすごいことではないかと思う(まあ僕なんかよりも「熱心な」ファンの方々の年齢層もなかなかに(以下略))。

  スポーツでも同じことが言えるが、本来は家でDVDでも観る方が綺麗なものが観られるわけで(当然ながら生で細かい表情まで見えるわけはない)、それでも生は良いなと思えるのは雰囲気とその場に「いた」という事そのものに対する所があるのかと感じた。「雰囲気代」というものは決して間違っていないものであるなと。やや田舎者くさいが、テレビで見たものが実際にあるとわかるとやはり興奮するのである(笑)

 香川県をゆっくり観光しながら帰っても本当は良かったのかも知れない。こういう事を考えると、やはり車の運転にもう少し慣れていきたい、と改めて感じるわけである。

※バス移動は寝たもの勝ち。

 

高校生と話す

 大学時代こういう団体にいたことも(一時期は中心メンバーであった)あったことや、いつか教員になろうかと思っていることを考えると、なんやかんやで中・高校生としゃべることはいまの所好きなことなのだと思っている。

 先日たまたま高校生としゃべる機会があり、受験勉強の話がメインではあったが(とはいえ僕自身の受験はすでに6年も前なのであるから、話す内容は教える側としての切り口の色が段々と強くなっている……。)、大学の話も少しはすることになる。

 自分が決して人にきちんと話せるような大学生活を送ったという自信はないし、むしろ怠惰な部類だったようにも思うが、各々の高校生が思っていることを出来る限り実現させるにはどうすればいいのか(勿論現実を伝えることも大切ではあるので、ズレがあるなら指摘はする)、出来る限り手助けしたいなと思っている。あまり面識のない年上の人にあれこれ聞こうという意志があるだけでもすごいことだと思うので、やはりこちらもそれにはそれなりに応えるのが礼儀ではあるように思う。

 単純に「大学楽しいよ」であるとか「社会人になったら時間なくなるよ」というようなことを伝えるのでは面白くない(し、そんなことのために土日を使いたくもないのである)。実際楽しかったかと言われると、100%そうだとは言い切れない部分があるのも事実ではあるので(苦笑)

 また伝え方も変わるかもしれないが、今は「面白いと思ったことに時間をかけてみると良い」ということを話すようにはしている。多分自分がそういうことをあまりしなかったという自覚があるのかも知れないが。

 

※※「老害」っちゃ老害であるし、先輩風を吹かせに行っているだけなのかも知れないが、たまにやるくらいは大目に見て欲しい……。

津田倫男「銀行員のキミョーな世界 なぜ行内事情を押し付けるのか」

 卒業した学部が学部なだけに銀行、金融業関係に就職した人は少なくない。正直なところ三井住〇銀行と三井住〇信託銀行の違いも恥ずかしながらよく分かっていなかった(昔それで実際に間違えてお金を振り込みに行ってしまい恥をかいたことが本当にある)ような人間なので、本のタイトルは下衆だが読んでみた。

 書いている人は元々都銀の出身なようで、口出しするOBのような感覚で書かれている。中立と言いつつ、思い入れがある(それが言われる側にとって有意義か否かはさておき)ことは分かるような書き方、考え方をしている。

一般企業と比べると確かに違う事が多いのかも知れない、という感想。扱う商品がお金ということで差別化が難しいこと、また仕事の内容を銀行内で差別化しにくい(評価がつけにくい)ことは(この本を読まなくても分かることではあるが)そうなのだろう、と考えさせられる。個人的にはセカンドキャリアや出向の部分に関しては面白かったように思う。どこの会社も同じような感じはするが、自分自身が「できる」ことというのは特定の場所や機会があってのことということは恐らく考慮しないといけないのだと思った。

※※本自体は5年前だったので、東電の話が出てくる(今出すならマイナス金利の話をバンバン入れてくるのだろうと思うが)のは少し時代を感じてしまった……。

 

東京旅行

 休みが取れた事から、東京に遊びに。先月も行ったので2ヶ月連続となるわけだが、楽しいことは多い方が良いと思っているのでそこは気にしない。神宮球場は東京にしかないわけであるし……。

 旅行というよりは、友だちの家に遊びに行く感覚。学生時代と同じ事をやっていると言えばそれも否定出来ないのだが、会ってくれる友人がいるということはとにもかくにも良いこと。今はまだ東京に集中している分、今回のようなことが出来るのもあと数年ではないかと思っている。 

 会社員になった友人、学生をしている友人とそれぞれいるが、自分よりもやりたいことを色々と考えているような気がする。結局は自分が不勉強なだけなのではあるが、もう少し自分の関心事を増やすか、あるいは今興味のあることに関して「オタク」になる必要があると思った。また、自分のいた大学の魅力はやはり周りの学生にあるとも再認識。

 すぐに分かるものでもないが、出来ることとやりたいこととをはっきりとさせていきたいところ。

※※もんじゃ焼きベビースターのトッピングは美味しい。

 

 

高校野球批判について

 夏の甲子園の県予選が行われている。愛媛県では1回戦から応援団が球場に派遣されるというのが伝統になっているため、球場の近くに行けば毎日大声援が聴けることに。球場付近に行く用事があったため、漏れてくる歓声が聞こえてきたわけだが、ある種の風情は感じずにいられない。

 ただ最近高校野球に対しても様々な視点から批判があることは確かで、こういう声が出てきだしたのは時代の変化なのだと思う。選手に対しては連投に対する批判、炎天下で長時間させることへの批判、あるいは学業軽視への批判、その他にはブラスバンドを強制動員させることへの批判(全国大会を辞退してまで甲子園の応援に行くのはおかしい、という批判があったのは記憶に新しい)等々、いままで当たり前であるとされてきたことが見直されようとしている。

 個々の事例に対して、その場の判断の根拠やどうすべきという答えは異なるのだろう(アホくさいかもしれないが個人的には私立校と公立校でまた答えは変わると思っている)が、こういった見直そうという意見が出ることは良いことだと考えている。プロ野球が全てではないが、高校時代の連投が祟ってその後の活躍が出来なかった選手を見るとやや悲しくなるものはあるし、熱中症になりながらスポーツはするものではない。

 そういう中でこれを言ってはいけないのかも知れないが、「多少の」無理はしてしまうものなのかも知れない。連投の話に関して球数制限を求める声もあるが、負けると即終了の大会でそのような理由で降板してしまい、逆転負けという形になってしまうと(勿論チームの総合力で負けたという事にはなるのだが)やややりきれない部分が残ってしまうのが事実。高校生自身がそういう気持ちにブレーキをかけるのは難しいわけで、結局はある程度の無理は承知しながらも、最後に「大人」がブレーキをかける、そしてそれに責任を持つことが恐らく重要なのではないかと思う。高校野球を「教育の一環」として主張するなら、指導者の側も学校活動の範疇で行っているという意識は必要である。

 高校野球自体はメディア等々含めて「感動」「汗と涙」というものが付き纏うもので、それ故に他のスポーツ以上に注目されてしまっている(しお金にもなる)。それ自体は全く悪いことではないが、全てを美談にするのではなく、おかしいことはおかしいという見方、意見が出てくることは今後も必要なのだと思う。

 もっともブラスバンドで「夏祭り」「タッチ」が演奏されると無条件でジーンとなってしまうのだけれど(苦笑)

 

 

 

まちづくりの勉強会:実地調査

 最近まちづくりの勉強会と母校サッカー部の手伝いとが楽しみで暮らしている感じすらある(この状況が良いか悪いはここでは考えないが、とにかく自分にとって楽しいことがあるのはプラスに捉えるべきなのである)。

 今回は自分たちが関わっていきたいと思っている商店街の方とのお話。細かい内容は書けないが、やはり今のままではいけないという意識が非常に強いが、「継続性」を重要視していたところは流石経営者、と思ったところである(個人的にも継続性は重要視していた。学生主体で何かをやるときに、現実とズレるところがあるとするとやはりここなのだと思うし、「意識高い系」が揶揄されるポイントもここなのだと思う。勿論、スパッと物事を切ることの出来る思い切りの良さが必要な時もあるとは思うが)。

 まちづくりの勉強会の一環である以上は単なるインターネットの宣伝に終わらず(もっとも誰が検索をするのかという点から、自分の中で正直これはそこまで効果があるとは思えない)、何かそこにいる人を巻き込めると良いのだけれど。

 ※※関わってくださっている大学の先生の話、経験を聞いていると、実施調査のやり方、アイデアの出し方からある程度今でも「理論」として、学問の中のものとして体系だっているものがあると(当たり前なのだが)感心させられるし、「机上の空論」なんて滅多に使う言葉でないのだろうと感じる。

 

青木祐子「これは経費で落ちません!~経理部の森若さん~」

 とあるゼミが某女子大とのインゼミでオフィスでの間食を損金算入できるかというようなことを議論の対象にしていたが、個人的には好きなテーマであったと思っている。間食も立派な福利厚生であると考えれば、損金として会社にとって節税効果があるのでは??というような疑問点がきっかけ。節税に人員を割くのは社会全体から見れば不利益なことであるので(あくまで理想論ではあるけれども)、定義と感覚との間にズレがある今の税制に問題があるのかも知れないが。

 本のタイトルからそんなことを少し期待していたが、そんな本が15万部も売れるわけがなく(仕方がない)、経理の人に焦点を当てて会社内の人間関係を取り上げた本であった。テンプレートな「真面目で仕事の出来るクールな女の人」というような感じで、たまにそこにスキが出来るところまで鉄板。タイトルの付け方は大切である(苦笑)

 働き出してから少しは会社の中でのお金の流れ方、処理のされ方に関しては分かることも増えたので、分かるなと思いながら読むことも。人の行動にお金の動きはつきものなのだと改めて思う。

 全く物語の進行と関係ないが「ズルいことと真面目なことは矛盾しない」という旨の文章は印象的だった(当然とある歌が浮かぶからである)。かいけつゾロリの「まじめにふまじめ」に通ずるところがあるような気がする。