つづりっぷ

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

「無理」も必要??

 「働き方改革」というようなことを言われる。また、部活動に対しても「ブラック部活」というような表現がなされることがある。今まで当たり前だと思われていた、度を過ぎた(深堀するつもりはないけれど、この手の話で「勉強のさせ過ぎ」という話は最近そこまで聞かないのは不思議な気もする。「ガリ勉」という蔑称が既にあるので今更話題にする必要が無いのかも知れないが)。とはいえ、見直しも度が過ぎてはいけないようにも思う。

 勉強でもスポーツでも仕事でも、何かを習得する、身に付ける、あるいはその質を上げるとなると恐らく一番良いのは能動的にそれなりの強度で訓練をすることであるように思う。「好きこそものの上手なれ」とはまさにその通りで、能動的に練習ができる、追求が出来る人に対して強制されている人間が勝つ、というような事は殆どないはず(「のびのび」が一番と言っているわけでは無く、あくまでも自主的にストイックにやる人が一番という話)。

 ただ、残念ながら好きな事だけやれば良いという人はほとんどいないわけで、嫌いなことをせざるを得ない場合もある。そしてそういった状況の中で、能動的に、ストイックに取り組むことの出来る人間は稀であり(お前が怠惰なだけではという意見はここでは受け付けない)、仕方なく「やらされる」わけである。

 この「やらされる」という場面で、ある程度の「無理」も必要なのではないかと思う。嫌なことである以上、手を抜くこと、(悪い意味で)楽をすることが優先事項になるわけで、自分で強度のコントロールをすることが難しい。「自主的に」追い込む場合に比べると効果結果は劣るのかも知れないが、サボってしまうよりは恐らくは意味はあるはず(極端な例ではあるが、所謂「自称進学校」も「進学校」ほどではないにせよそこそこ結果が出ているのはそういうこと)。

 「働き方改革」云々や「ブラック部活」の類にたまに思うのは、↑のような「無理」「強制」を極端に否定していないか、という点(これまた深堀しないが、「ゆとり教育」は批判する割に「働き方改革」には批判があまり行かない)。部活動を例に挙げるのならば、試合の時期が近くなった時に普段より練習時間を延長する、というようなことはあっても良いと思うが、それを「ブラック」の一言で片付けても良いのだろうか。

 理不尽なことを経験しろ、というのではなく、場合によっては「しんどい」状況を乗り切る必要があるのではないだろうか(当然「しんどい」状況がサボったツケとしての状況ではないことは前提ではあるが……)。最近の改革が必要な「無理」、あるいは自主的な「無理」も極端に否定してしまっているように思わなくもない。当然ながら塩梅には細心の注意が必要であるけれど。

 

 まあ、大半の人は今現在どこかで「無理」をしているので、これ以上何を言うかということにはなるかも知れないが……。