東京に行った
3日4日の土日で東京へ。寮のOB会に参加するという大義名分の下、楽しく過ごすことが出来た。会ってくれる人がいることはありがたいこと。今後1,2年は東京にいる人が大半な気がするので、機会があれば顔を出しに行きたい。
羽田→駒場リサーチキャンパス→渋谷やよい軒→神宮球場→アルバイト先→渋谷で飲み会→調布のホテルに荷物を預ける→雀荘→調布→寮
↑のような旅程だった。土曜日に渋谷のコインロッカーを確保できたのが小さいことではあるが相当大きかったように思う。
寮のOB会について。OBの方は毎回楽しみにして来ているのかもしれないが、やはり平均年齢が高くなっているのは事実。「学生が飲まなくなった」というのも事実だろうし、別に悪いことだとも思わない。
今後どうなるのか、どうするのかはOBの自分も考えるべきことなのかも知れない。考え方こそ人それぞれだが、卒業してその後は全くかかわらないというのも寂しいような気もする。名簿を整理(OB訪問??に使えるらしいので)する、というように何かしら寮生側がOBを頼れるような仕組みがあると良いと感じた。
高校の同窓会(自分が役員をしている)に関しても同じことが言えるが、一人でも多く人が集まった方が会としては良いこと。ただ、需要が無いなら規模を小さくして(ex.隔年開催)行くことも必要なのかも知れない。
OBになったにもかかわらず現役寮生よりも楽しんでしまい、また盛り上げ役になってしまうのは所謂「老害」というやつだが、年配の方には「若い子にもそういうのが必要」と言われる。双方を批判するつもりはないが、認識の差はあるように思う。同窓会のような形式、コミュニティについて拘りが人よりはあると思っているが、もしかすると「時代遅れ」なのかも知れないし、自分の考え方を押し付けるものでもないのだと出席しながら感じた。
ゆるキャラ
愛媛県のゆるキャラに「みきゃん」がある。可愛いで鞄に付けて大学時代は通学していた(就活の際の鞄にも忍ばせていたのは内緒)が、そのせいかみきゃんを見ると自分のことが浮かぶ知り合いもいるとかなんとか(申し訳ない)。
ただ、愛媛のゆるキャラと聞いて、自分が県外に出るまではどちらかと言えば「バリィさん」の知名度の方が高かったのは事実。「ゆるキャラグランプリ」でも早い段階で一位を獲得している自分がみきゃんを推したのも、どちらかと言えばマイナーな方を応援しようという気持ちもあったのだが、現在では至るところにみきゃんがいる状態で、圏内企業の名刺に使われる場合もある。
「本気になればすべてが変わる」と某元テニスプレーヤーも言っていたが、そこそこにの規模の行政が本気を出せばそれなりに状況は動くのだと思った。「みきゃん」で検索をすると「組織票」がサジェストされるようなこともあったが、実際に県内企業、学校では「みきゃんを応援しよう」と「通達」が出ていたらしい。批判もあったらしいが、知名度を上げたことは事実。
地域活性化にゆるキャラを使う事に対して賛成か反対かという事を言いたいわけではなく(これに関しては意見がたくさんあるし、どれもそこまで間違っていないはず)、ゆるキャラも結局はお金の使い方によって変わるのだなあと。
「郷土愛」は言葉ではなく金額??
「まちづくり」の勉強会
わけあって、月何回かの頻度でまちづくりの勉強会に参加することに。勉強会と言っても、空間計量をやるとか、輪読会をするというようなものではなく、いわゆる「現場主義」的なもの。
個別の例を何でもかんでも一般化することは気を付けたいと個人的には思っているが、今回は個別の例に向き合うわけで、そういう心配をする必要がないのは気楽(もっとも、今後個別の例に向き合うことがほとんどなのだろうれども)。
メインは学生なので、どういう立ち位置でいるべきなのかやや迷ってはいるが、良い感じに「大人の」対応が出来ると良いとは考えている。
理想形として、「苦しい時に人が帰ってくる、意見を出せる」まちの形を一つ、メインの方が挙げていた。ドラえもんでのび太が「弱い時に応援するのが本当のファン」というようなことを言っていた気がするが、そういう考え方に近いのだろう。人が出ていくことを悪く言う、という所まで行くと気持ちが悪いが、現実的な考え方で良いなと思えた。
最終的には自分達の提案を具体化するところまでやるらしい。できる範囲の事を小さいながらもやるというのは大切だと思っているので、面白いところに首を突っ込めたかなと。身の丈に合わない「街おこし」は見ていて苦しいので……。
村上龍「テニスボーイの憂鬱」(上)(下)
読んだものの感想を書こうという事をだいぶ前に書いた気がするので。一番好きな作家(という事にしている)村上龍から。タイトルは昔から知ってはいたものの、ずっと読んではいなかったもの。たまたま100円で上下巻とも買えたのはラッキーであった。
中身はというと、ただただ「楽しいこと」をしている主人公の話になる(直接何をしているのかはここで書きづらいので省略)。人間的、あるいは道徳的では決してないことしかしていないので、別に自分がそれの真似をしたいわけではないが、とにかく楽しいことをしている。はっきりいうと中身は無い(笑)
主人公はテニスに熱中しているわけだが、自分にはテニスの経験が全くないので、実際に本のような気分になるのかは分からない。ただ、スポーツを真剣にするときに考えるようなことは共感できるところはある。作中9割方はどうしようもないことをしているのだが、ときたまあるテニスの記述は妙に緊張感があって読んでしまう。
村上龍のどの作品を読んでも「つまらなさそう」な人は大体ひどい目に会うか、あるいは悪く書かれるかしているわけで、分かっていながらもそれを期待してしまう(グロテスクなのはあまり好きではないが……)。正直読んでいて疲れるのだが、これくらい適当に、自分を持って生きていられるのは羨ましいといつも読みながら思う。
「他人をわかろうとしたり何かをしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたり何かしてもらおうとしたりするな、自分がキラキラと輝いている時が何よりも大切なのだ」
「ひどい味のビールを飲まないですむコツがわかってきたような気がした。まず第一に、いやな気分の時はビールを飲まないことだ、それに、いやな気分にならないためには自分が悪いと反省しないことだ」
↑臭いセリフではあるが、憧れるわけである(笑)
※昔「夏の一冊」みたいなシリーズに選ばれているらしい。対象年齢を考えると正直選出ミスではないかと思うが、なにか選ぶ側にも思う事があるのだろう……。