さらに俺の土曜日もすぐなくなってしまうのだろうか?

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

「まちづくり」の勉強会

 わけあって、月何回かの頻度でまちづくりの勉強会に参加することに。勉強会と言っても、空間計量をやるとか、輪読会をするというようなものではなく、いわゆる「現場主義」的なもの。

 個別の例を何でもかんでも一般化することは気を付けたいと個人的には思っているが、今回は個別の例に向き合うわけで、そういう心配をする必要がないのは気楽(もっとも、今後個別の例に向き合うことがほとんどなのだろうれども)。

 メインは学生なので、どういう立ち位置でいるべきなのかやや迷ってはいるが、良い感じに「大人の」対応が出来ると良いとは考えている。

 理想形として、「苦しい時に人が帰ってくる、意見を出せる」まちの形を一つ、メインの方が挙げていた。ドラえもんのび太が「弱い時に応援するのが本当のファン」というようなことを言っていた気がするが、そういう考え方に近いのだろう。人が出ていくことを悪く言う、という所まで行くと気持ちが悪いが、現実的な考え方で良いなと思えた。

 最終的には自分達の提案を具体化するところまでやるらしい。できる範囲の事を小さいながらもやるというのは大切だと思っているので、面白いところに首を突っ込めたかなと。身の丈に合わない「街おこし」は見ていて苦しいので……。

 

綿矢りさ「インストール」

 GWに読んでいたのでこちらも。僕みたいな人がこの作者のを読むのはどこか気恥ずかしいし、読むなら芥川賞を取った「蹴りたい背中」を読めば良かったのかも知れないが、裏表紙に「ドロップアウト」と書いてあってすこし関心を持ってしまった(笑)

 内容自体は「ふーん」という感じ。行きかえりの電車で読み終えられそうな、軽いものであった。ただこれを高校生が書いたのはどういう人生経験をしていたのかという点で気になる。

「人が働いてる時に休むと、皆が休んでいる時に一緒に休むのより二倍充実した一日が送れるよ」 

 ↑話の大筋とは全く関係ないが、高校生の時にこういう余裕が欲しかったなと思う。

村上龍「テニスボーイの憂鬱」(上)(下)

 読んだものの感想を書こうという事をだいぶ前に書いた気がするので。一番好きな作家(という事にしている)村上龍から。タイトルは昔から知ってはいたものの、ずっと読んではいなかったもの。たまたま100円で上下巻とも買えたのはラッキーであった。

 中身はというと、ただただ「楽しいこと」をしている主人公の話になる(直接何をしているのかはここで書きづらいので省略)。人間的、あるいは道徳的では決してないことしかしていないので、別に自分がそれの真似をしたいわけではないが、とにかく楽しいことをしている。はっきりいうと中身は無い(笑)

 主人公はテニスに熱中しているわけだが、自分にはテニスの経験が全くないので、実際に本のような気分になるのかは分からない。ただ、スポーツを真剣にするときに考えるようなことは共感できるところはある。作中9割方はどうしようもないことをしているのだが、ときたまあるテニスの記述は妙に緊張感があって読んでしまう。

 村上龍のどの作品を読んでも「つまらなさそう」な人は大体ひどい目に会うか、あるいは悪く書かれるかしているわけで、分かっていながらもそれを期待してしまう(グロテスクなのはあまり好きではないが……)。正直読んでいて疲れるのだが、これくらい適当に、自分を持って生きていられるのは羨ましいといつも読みながら思う。

 

 「他人をわかろうとしたり何かをしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたり何かしてもらおうとしたりするな、自分がキラキラと輝いている時が何よりも大切なのだ」

 

「ひどい味のビールを飲まないですむコツがわかってきたような気がした。まず第一に、いやな気分の時はビールを飲まないことだ、それに、いやな気分にならないためには自分が悪いと反省しないことだ」 

↑臭いセリフではあるが、憧れるわけである(笑)

 ※昔「夏の一冊」みたいなシリーズに選ばれているらしい。対象年齢を考えると正直選出ミスではないかと思うが、なにか選ぶ側にも思う事があるのだろう……。

 

話題が無くなるということ

 最後に書いたのがGWの時になっていた。別に書きたいこともないのだが、平日は余裕が無いのか、はたまた何も考えてないのかは ここでは考えない(こんなことよりやるべきことはたくさんあるが、日曜日の自分が挽回してくれるはず)。

 はるか昔「学生が社会人になるとツイートから勉強・学問の話題が消えて、残るのが飯やスポーツの話題のみになる(からつまらなくなる)」という趣旨のツイートを見かけた。元ツイートを見つけられなかったので、正確な内容かどうかはさておき、当時はそこまで実感がわかなかったことは確か。

 (そもそも勉強の話題を意識的に避けていたこともあって少ないのだが、)実際に学生でなくなって以降、自分の話題を考えると、ここに書いていることは特に顕著で、スポーツの話、飯の話が多い。あのツイートに自分も当てはまるのかと思うと少し悲しい気もするが、元々面白くないので(そもそもTwitterは公開備忘録、あるいは雑談用のはず)気にしない。

 とはいうものの、このようにネットで扱う話題が変わってくるのも、そして今までよりそれが面白くなくなると感じることも仕方のないことだと思う。別に単調な生活をしているわけではない。

 まず、残念ながら一日の起きている時間の大半は仕事をしているわけだが、仕事内容のツイートなど出来るはずもないというのが正直なところ。完全知り合いのみの非公開アカウントならまだしも、知り合いでない人を含む中で仕事内容に関することを公開するのは何のメリットもない。ミスチルの「innocent world」の中に「近頃は夕食の話題でさえ仕事に汚染されていて」なんてあるけれども、結局それは見知った人同士であるから成立するということなのだろう。

 この時点で話題が減るのは必然であると思うが、もう少し踏み込むと結局は共通項が少なくなるということもあるのではないかと思う。公開備忘録ではあるものの、どこかで他人に共感してもらいたいことがあるはず。環境が変われば共有していたものも少なくなるわけで、そういうことを人に言わなくなるのではないかなと。アカウントを話題ごとに分けている人がいるが、それもその一環だと考えていいはず。

 そもそも人の投稿にケチをつけること(直接悪口を言われた、あるいは嘘を流されたというようなことは除く)自体がナンセンスなことだとは思うが。

 

サポーター

 少し前の話ではあるが、ボールボーイを小突いて退場になったサッカー選手が問題になった。(https://news.yahoo.co.jp/list?t=j2tokushima_ballboy)

 これ自体あってはならない事で、出場停止を2試合喰らうのも当然だとは思う。ただ、それ以上に酷いのはサポーターの行為ではないか。出禁になって当然である。

 「サポーター」という言葉の通り、あくまでもピッチに立つ選手を助け、応援する立場であることを忘れているような気がしてならない。勿論あたかも選手のようにその場の雰囲気を感じとる、共有する事は素晴らしいのだが、いつの間にか自分たちが偉いというように勘違いしているような気がする。他のスポーツでも、これはあるのではないか。

 よく選手の方がインタビュー等で「応援のおかげで」というような言葉を残すが、これは選手の側から発せられるからこそ意味があって、スタンドの観客が「自分たちが勝たせてやった」というような態度を取るべきでは無いはず(勿論チャントで独特の雰囲気が出来るのは否定しない)。お金を払って観に行っている「お客さま」であるからといって何をして良いわけではない。

 チームや選手への愛着があるのは良いこと(観客動員が少ないと経営が成り立たないのがプロスポーツである)だが、あくまでサポーターであり、言い方こそ悪いが観る立場でしかない以上超えてはいけないラインがあるのはもう少し守られるべきかと思う。歪んだ愛着のせいで近より難い雰囲気が出ない事だけは祈りたい。誰でも最初は「にわかファン」なわけで……。

 

サッカー部に顔を出した

 5日、当時の顧問に呼ばれてサッカー部の練習に顔を出した。中学生チームに対して圧倒的数的不利の中大人チームとして練習試合も行い、どうにか走れた(もう少し体重を減らさないといけない)。

 自分が在籍していた時は「部」だったが、今は人数不足になっていたこと、顧問が不在だったこともあり「同好会」という扱いらしい。そのせいか練習も週三回に制限されていて、一回あたりの練習時間も短いのだとか。試合中は楽しそうだったので、今いるメンバーがそのまま続けて欲しいなと先輩風を吹かせながら思っている(大学に入ってやらなかった自分が言えたことではないのかも知れないが)。関わり方は人それぞれなのかも知れないが、いつかまた対外試合をやるようになることを期待している。

 顧問だけでなく、合同練習をしていたような人や外部コーチの方とも知り合ってから長い。こうやって今も関係があるのはなかなかに恵まれているのだと月並みながら感じた。

 

岡山・大阪に行った

 3日、4日を利用して岡山と大阪へふらりと。本当は東京に行って、大学の同期や寮の後輩に会いに行くというのでも良かったのかも知れないが、それは6月の寮の例会の時にしたい。普段は夜行バスやら、LCCやらを使う事の方が多いが、今回は鉄道のみで移動することに。出発の二日前に計画した割には段取り良くできたと思っている。

 3日は岡山→神戸。岡山では大学での友人とたまたま時間が合ったので食事をすることに。お互い新会社員であるので、話題の中心もそれになるのは必然か。「大都会岡山」(これを岡山の人に言うと怒られるのだが)と言われるわけだが、駅周辺の商店街には意外と飲食店が少なかった(駅の近くのイオンにまで行けばそれなりにあったらしい)。

 その後倉敷に移動。所謂美観地区を見ることに。15年くらい前にも来た記憶はあるがその頃よりは楽しいと感じることが増えたのは当然。たまたまここでも倉敷在住の知人と会え、かつ案内もしてもらえたので非常に良かった。駅の近くであるにも関わらず雰囲気が出ていたのと、あとはそこに住んでいる人がいることは印象的。地方の観光地が無理をしているのを見るのが苦手(全く関係ないがアニメの「サクラクエスト」でそのようなシーンが多いので思わず苦笑してしまうのである)なのでそういう点で倉敷は良かった。街並みの歴史の予習をしなかったのはやや後悔。どうやら江戸時代の街並みを保存しているらしい。

 その後神戸へ。姫路までは新幹線を使うという判断がやや遅れたので時間を浪費した感はあった。次回以降は気を付けたい。カプセルホテルは快適だったので、口コミサイトも馬鹿にはできないなといった所。

 4日は神戸市内を回る。中華街や震災の遺構を見るなど。パッと見では震災の雰囲気は全くなくなっていた。言い方は悪いかもしれないが近いうちに四国にも来るわけで、その時どうなるかは頭の片隅には置いておかないといけない。

 昼からは大阪へ。5年前に住んでいたところを見て回る。そこまで変わりはないが、5年経っているという事には驚かざるを得ない。引きずっていることは全くないのだが、あの辺りに行くたびに思い出すことにはなるのかなといった所。昼は同期と会っていた。どこかに行こうかと思っていたが話し込んでしまったのでそのまま帰松。

 2日間フルに使えたのは良かった(酒を飲んでばっかりな気もしたが、そこは気にしてはいけない)。と同時に、新幹線やら特急やらで「時間をお金で買う」感覚も少しわかった気がする。