さらに俺の土曜日もすぐなくなってしまうのだろうか?

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

人間人事塞翁が馬

ジョブローテーションやら人事異動やらは中途半端な人材を作ってしまうと最近槍玉に挙げられるような風潮があるけれども、正直な所自分のような平凡な人間にとってはそこまで悪影響があるとは思いづらい所がある。

 

むしろ今の所で上手くいっていなかった人間にとっては100%でないにしろ現状のリセット、極端な話転職したような状況になることから、プラスに働くことになるのではないかなとも思う。

 

ネットのキラキラした人はやたら個人の「市場価値」の重要性を説いていて、それも間違ってはいないのだろうけど、平凡(かつビビりな)な人間にとっては市場価値を高めることよりも社内での価値を高める(あるいは取り戻す)ことの方がよっぽど重要ではないかなと。所属先がダメになったらどうするの、という意見もあるだろうけど、そういう組織に属してしまった点で凡人なのだからある程度は仕方ないだろう。

 

その場での周りからのマイナスの評価を一度実質的にチャラにして新しい所で働けることはある意味サラリーマンの良い所として肯定的に捉えるべきなのだと思う。ただまあそういうことを繰り返す悪循環は断ち切らないといけないだろうけれど。

 

※※こういうことを考えると改めて人事を担当する人の持っている権限の大きさを痛感すると共に、その責任感に耐えられる度量の大きさは要るのだろうなあと思わされる。

 

独自路線

3月に有給休暇ですることも無かったのでエヴァンゲリオンの映画を観に行った。有給休暇に会社から仕事のことで電話がかかってくるのが心底嫌いなので、携帯を見ない理由を作るために映画を観に行っている所もある。電話がかかってくる原因の大半を作っているのは自分ではあるのでそこは改善しないといけないけれど。

 

以前若い世代は長時間スマホが見られないから映画館に行かないとか車を運転しないとかいう事を聞いたか見たような気がする。寧ろ隙があればついついスマホを弄ってしまう世代にとってはそういう時間は大切なように思うし、実際テレビで見ると途中でスマホを見てしまうから、という理由で映画館で観たいという意見も聞いたことはある。繰り返しにはなるけれど有給の時はこれからも映画館に逃げることはあると思う。

 

閑話休題。公開日だったので月曜夕方でもかなりの人だった。「どうして月曜のこの時間に観に行けるんだろう」と思ったけれど周りの人も自分に対してそう思っているはずだろうからそこは考えないでおく。

 

内容についてはネタバレしたくもないので彼是言うつもりは無い。言うつもりは無いというよりは、そこまで思い入れもないというのが正直な所。エヴァンゲリオンというコンテンツに対してリアルタイムで観ていた思い出が殆ど無いので、多分周りの人よりは薄い感想しか残せないと思う。

 

自分の年齢を考えるとリアルタイムの思い出を持つとすれば新劇場版の時になるわけだけれども、当時は「何かみんなが観てるけど自分あんまりよく分かってないもの」だったと思う。部活と学校の勉強位しか興味(というかキャパシティ)が無かったこともあり特に調べようともしなかったし、そもそもここで「調べる」という姿勢でいる辺り距離があったように思う。大学生になったら観てみよう、とぼんやりと自分の中で決めていたような記憶はあるが、とにかく当時は周りの輪には入っていなかった。

 

これに限ったことではないけれど、割と自分の中で「みんながすること」に表立って入らない(のか入れないのかは分からないけれど)ことがあるなと改めて思っている。「周りに流されない」とか言ってみれば聞こえは良いのかも知れないけれど、そういうことではなく、勝手に一歩引いているようなことがあるのだろうと思う。

 

元々天の邪鬼的な性格がある(周りがやる気満々だとちょっと引いてしまう)ことは理解しているのである程度仕方ないとは思っているけど、勝手に一歩引くことで今後損することも増えるのではないかと最近感じつつある。今更こういう事を言うのも幼いけれど、「みんながしていること」は大概外れは少ないし、外れたとしてもそこまで酷くはならないことが多い。結局取り敢えず人がしてることをやってみることが案外楽な(だし楽しい)事が割とあると最近感じる機会が増えてきた。

 

勿論譲れないものとか考えはあるのだけれど、自分の生活の中でそういうものが占める割合を考えるとそこまで多くは無いので、「どうでもいいこと」は大多数に合わせてしまう方が、結局「大事なこと」に割く時間を増やせるのだと思う。

 

そんな事を考えると昔小学生の頃女子がクラスの人に書かせてた(自分のような人間からすれば「書かせていただいた」という方が正しいか??)「プロフィール帳」なんていうものは無難な回答を何となく許さない気がしてちょっと疲れてしまうような気もする。大半はどうでも良い質問なのに……。

 

「東大なんか入らなきゃよかった」を読んでしまった

自分が卒業する辺りから「東大生」をウリにする番組が増えてきた。学生時代イベント会場のバイトをしていたけれど、そこのプロデューサーさんもコンテンツとして優良というようなことを言っていたし、現に働き出してからそれ関連の話題を振られることは少なくない。サッカーの練習をたまに見ている中学生に同級生の話をすると相当盛り上がったので、相当浸透度の高いものなのだと思っている。

出演している人を貶すつもりは全くないし、プロとして諸々のメディアで活躍している人は寧ろ応援している。とはいえ番組によっては酷いものもあるので、自分からその手のものを見ることは一部例外を除いては避けている(そもそも自室にテレビを置いていないという物理的な要因もある)のが正直な所。

そんな中この間本屋をフラフラしていると平積みにされた「東大なんか入らなきゃよかった」というあからさまなタイトルの本を見つけてしまった。多分今日自分がその本を見つけても特に何も思わなかったと思うが、日曜日の午後に見つけてしまったのが悪かったのだと思う。働き出して4年になるのに未だに月曜日の良い迎え方を模索しているのも恥ずかしい話ではあるけれど……。

取り敢えず積んだら二度と読まないと直感的に思ったので一気に読むことにした。内容は東大に入っても、出てもしんどい人がいるという内容を大まかに書いた後にしんどい人のインタビューで具体的に掘り下げるという流れ。著者が東大OBであることもあってか終始内容についてはある程度納得感はあったと思う。

前半部分は基本的には知っていることの再確認というような感じで特に目新しいこともなかったが、後半の個人に焦点を当てた部分については考えさせられる部分もあった。

news.yahoo.co.jp

↑の記事に本の一部と大体同じことが書いてある。記事では逆学歴詐称とか、薄給の仕事をしていることからも男性を「可哀想な人」というように取り上げていると思う(週刊誌的には「東大卒なのに○○」というのはやっぱりキャッチーなのだろう)が、本当にそうなのだろうか。

確かに世間一般的には成功していないとみなされて、本人も健康上辛いこともあるかも知れないが、「生活に満足している」「図書館で借りた本が読めれば良い(↑の記事には無いが本の中にはそういう記述がある)」ときちんと割り切れていることを考えるとこの男性はある意味では可哀想な人では決してなく、判断の基準がぶれない強い人なのではないかと思う。周りに流されないとか、独自路線というのはこういうことを言うのだろうし、卒業してから独学で絵を習得(本によれば東大図書館で歴史の資料室を借りて模写を繰り返したとのこと)する時点で所謂ハイスペックであるとも思うし、表現は稚拙かも知れないが「教養」「素養」がしっかりとあるのだと思う。

結局自分に置き換えて彼是と考えてしまうのだが、到底自分は真似が出来ないとまず思う。自分が仮に今無職になってそこから何かやろうという気になるのだろうか、そもそも「何か」が思いつくのだろうか。「世捨て人になりたい、仙人になりたい」と冗談では言うものの、少なからず世間体は気にしてしまう。出世とかどうでもいいと言いながらも会社の昇格試験はちゃんと受けてしまうのである。大人だから勿論その辺りは折り合いをつけないといけない部分はあるけれども。

敬遠していたジャンルだったけれど意外とちゃんと読んでしまった。20代も後半になっているのでもう少し凡人としてまともな「社会人」になっておきたいわけで、いつまでもちょっとレールを外れる人になんとも言えない羨ましさを感じてしまうのは良くないことなのかも知れない。

所謂「レールを走る」ことはそもそも凄いことだと思っているし、自分が羨ましく感じる「レールを外れる人」はレールではなく滑走路を走っているような感じが最近しているので。

 

※「東大までの人」という表現がこの本でも出てきた。よく出てくるけど、周りにそういう人がいないのはたまたまなのだろうか。もしかすると周りが勝手に判断しているだけなのかも知れない。

 

 

 

 

作業室としての試験会場

先日とある資格試験を受けることになっていたが、自分の意志の弱さから結局参考書を数ページ読んだだけしか勉強しなかった。こういう姿勢で20代を割と無駄にしていることは否定できないので猛省が必要なわけではあるが、どうせまた繰り返してしまうのだろうと浅い所で感じているのも事実。これ以上反省文を晒すつもりもないので反省はここまで。

当日は会場に行かず棄権するつもり満々であったが、諸事情あったことから会場には行き、自分の座席には着席。通常試験直前は自信がない時の緊張感であるとか、逆に自信がある時の余裕感というような独特の雰囲気がある(残念ながら最近自信のある状態で試験に臨むことが激減している)が、当然のことながらそんなものは感じられずただ試験監督の指示に従い、スマートフォンの電源を落とした。

試験開始後は取り敢えず問題文を眺めるが勿論問題は解けない。集中している周囲と対照的に腑抜けた顔をして時計を見ていると何度も試験監督と目が合ってしまった。即退出が出来ないためこのまま時間が過ぎるのを待つしかないわけだが、それも面白くないので問題用紙の白紙のスペースを使って月曜日からの仕事の予定を考えたり、具体的には書かないがもう少し広い範囲のことを考えたりと普段じっくり考えないことを飽きるまで考えてみることにした。

当然試験会場は静かであり、周りで立ち上がるような人もいなければ、スマートフォンを使うような人もいない。自分もその状況は同じであるから、誰にも邪魔されず、かつ脱線することなく考え事に集中することが出来た。周りは真剣に試験に取り組んでいる分、何となく自分も姿勢を正して真剣に考え事をしていたように思える。少なくとも試験勉強に対する姿勢よりは真剣だった。

結局退出可能時間となったことに気づかず、ある程度経過してから堂々と退出をした。試験監督さんの仕事を少し増やしてしまったが、そこは気にしないでおく。正直な所明らかな時間と金の無駄遣いであるが、色々やるべきことやりたいことの優先順位を無視して考え事をすることは普段の生活で少ない気がするのでそういう意味では良かったと思う。それ以外に何もすることが無い時には普段しないこともするのだなと自分の弱い意志の中にも最後の希望が見えたような気もする。

よく〆切が迫った作家が独房のような所で監視されながら作業している(冒頭によく、と書いたがSHIROBAKOの監督しか今のところ浮かばない)が、案外密室でやるよりも「試験会場」で受験生に囲まれながら作業をするのが一番良いのではないかと思ってしまった。前述した適度な静かさ、真剣にやろうという雰囲気に加えて「制限時間」という追い込み要素もあるので、集中するにはいい環境だと思う。自分が試験を主催することはなさそうだが、「貸し受験座席」でも当日やってみると面白いかもしれない。

 

ちなみに試験時間一杯までいられなかったのは空腹でその後何を食べるかしか考えられなかったためなので、「試験」前にはちゃんと準備をしたい。

 

 

 

好きになる理由

 今更ながら「天気の子」を観た。映画館に行ったのは4月以来(電話を切りたかったからという相当消極的な理由だった)で、年に2回も映画館に行くことなんて何年ぶりだろうか、という経験だった。

 殆ど映画館に行かない自分がわざわざ行ったのには、作中に学生時代のアルバイト先である「さるびあ丸」(東京湾納涼船で使われた船である)ががっつり出てくる、と聞いたからというのが大きい。実際本当にがっつり出て来た(細かい所まで再現しているなと感心した)し、東京の知っている風景も見られて、先週に引き続き学生時代を振り返る事が出来たので、観て良かったと思った。ストーリー自体はまあ、綺麗に終わって良かったね、という感じだったとしか言うつもりは無いけれど。途中は背景の綺麗なFLCLだった()

 映画の中身の話はこれ以上無いのだけれど、映画を観ながらふと自分が何かをすることの理由付けに「自分との関わり」を挙げているなあと考えてしまった。今回ならば「バイト先が出た」ということであるし、自分の趣味のヤクルトスワローズにしても「松山でキャンプをしていたから」という理由で関心を持ち始めたし(今でも他人に好きな理由を聞かれるとそれを言っている) 、ヤクルトを応援する前は「近所のスーパーが安くなるから」という理由を人に言って、ホークスを応援していた。スポーツ以外だとスピッツ(バンド)が好きだと公言しているけれど、「母親が聞いていたから」ということを理由にしている。

 今回の本題と外れるので詳しく書くつもりは無いのだけれど、本当はそれぞれにもっと好きな理由があるはずなのだと思っている。だけれども、地縁や他人、外部の影響を理由にしがちになっているのが現状。

 どうしてこういうことになるのだろうとぼんやりと考えていたけれど、結局どこか「恥ずかしい」という気持ちがあるのではないかということに至った。自分がそれが好きだということに対して、周りがどう思うかを過剰に気にしているのだなと思う。何かが好きだということは極端に言えばその人のセンスを公言することだと思うので、そこに対してやや気が引けているのだろうと思う。「何が好きかで自分を語れよ」、みたいな名言(寧ろネタな気もするけど)もあるし。

 多分、自分外的な理由抜きに良いなと思ったものは公言するかは置いといて、変な理由付けすることなく好きだと思って関心を持てば良いのだと思う。「自分のガラじゃない」と敬遠をする必要も無いのだろう。

 正直、周りの人間は僕に関心が無いのだから、(迷惑をかけない限り)周りの目を気にする必要は無いのである。というわけで、明日はタピオカミルクティーを買ってみようか(買わない)

 

 

東京がTOKYOだった話

9月2度目の三連休は東京へ。アルバイト先に顔を出す(「遊びに行きます」詐欺を3年間もしていたら、当時働いていた環境が今年で最後、という事になってしまったので急遽顔を出すことに)事がメイン。

なんやかんやで車を入手したので岡山空港経由で東京へ。新幹線の方が酒も飲めるし移動中考え事する時間もあるので好きかも知れない、という事もやや思いつつ。結局は岡山空港が山の中にあることが原因な気もするが。

いつからかTwitterで東京を「トーキョー」表記するようにしている。深い意味はないけれども、そっちの方がちょっと非日常感が出ると勝手に思っているので使っている(Twitterにも書いたけれども、森博嗣の「ミステリィ」表記と同じ、ということにしている、森博嗣にどういう意図があるのかは知らないけれど)。ただ、今回行った東京は「トーキョー」ではなく「TOKYO」だったと感じられた。

ラグビーW杯開催中ということ、1年後に五輪を控えていることという事が要因であるとは思うが、外国人の多さ、そして外国人向けの街の表記や宣伝の多さが目に付いた。五輪のPRだけでなく、所々で「TOKYO」表記が見られたのは印象的。タカラ缶チューハイでさえ「TOKYOドリンク」を自称していた(35周年記念、というのもあるみたいだけれど)から驚きである。

外国人向けのコンテンツの多さという点では京都が「KYOTO」になっていると前から思っている。その是非を問うつもりは無いけれども、日本にいながらやや異質な雰囲気を感じていた中で、今回東京でそれを感じられたのは意外であった。

京都の場合と異なるのは神社仏閣に加えて新しい建物からも「TOKYO」感を出しているということ。近未来感、というべきなのかも知れないけれど、神社仏閣等々から出る「世界から観た日本」という意味での「TOKYO」だけでなく、「日本から世界にアピールする」という意味での「TOKYO」が感じられたように思えた。そしてそういう中で、学生時代を過ごした「トーキョー」とは変わってきているのだな、という事を感じた。

まあ、せっかく日本に来た外国人が安直なコンセプトのしょうもない居酒屋を「TOKYO」だと勘違いしないことを祈るばかりである……。

隠岐諸島のススメ

 たまたま知り合いが隠岐に住んでいるので、GWを利用して隠岐諸島へ。一人では寂しいこともあったので友人2人で今回は島へ。

 「本土」から島への移動方法は主に2つ。

①船

→境港or七類港から隠岐諸島へのフェリー、高速船が出ている。時刻表やら料金はコチラ参照。今回は船を行き帰り共に利用した。ちなみに境港、七類行きはそれぞれ「本土」行と表示される。

②飛行機

→伊丹、出雲空港からそれぞれ便がある。同行者は飛行機を利用した。

 

島の概要について。「諸島」となっていることからも分かるように、大きく分けて4つの島があり、うち3つの本土に近い側を「島前」(どうぜん)、本土から遠い側を「島後」(どうご、松山出身の自分にとっては妙に親しみのある響きである(笑))と呼ぶ。配置云々はコチラ参照。島前3島は内航船があり、比較的移動し易くなっている。

 

今回は2泊3日で隠岐観光を実施。1,2日目午前で島前、2日目午後、3日目で島後というような旅程を組んだ。

 

・1日目

1030頃に境港へ。水木しげるロードも少し見つつ(余裕があればこの辺りをじっくり見るのも面白いとは思う)、高速船で島前別府港へ。

別府港からバスで国賀海岸へ。浸食作用で出来た断崖絶壁は非常に綺麗でこの日のハイライトだったと思う。摩天崖の上まで時間の都合で登れなかったのは心残りであるが……。

その後は海岸からのバスが無いというアクシデント(真夏以外は便が少ない)もあったものの、別府港に戻り中ノ島へ。すでに港からのバスは無かったので、宿までは徒歩。

宿はコチラ。居酒屋が併設されており、離島でありがちな飯難民にならずに済んだ(コンビニは島後にしかない)。宿にIターンされた人も多いらしく、会話を楽しみつつ手ごろな値段でお酒も飲めたのは良かった。

・2日目

朝から後鳥羽上皇を祀っている隠岐神社、火山地形が特徴的な明屋海岸へ。バスの時間の都合上海岸滞在時間は20分行かないくらいではあったが、これまた絶景であった。

その後内航船で知夫里島へ。時間の都合上メインスポットへは行けなかったが、島内を散歩し、フェリーで島後へ。

島後ではレンタカーを使用。2日目で島の半分を一気に回ることに。名物である「ローソク岩」の夕陽は展望台からは見えないので、出来ることなら遊覧船を利用して欲しい(今回の心残り)。島後ではドラッグストアやスーパーもあり、お酒等の調達はしやすいと思う。

宿はコチラ。港から車で近く、部屋からの眺めも良かった。

・3日目

引き続き車移動。壇鏡の滝、水若酢神社といったスポットを観光。壇鏡の滝の高さは圧巻であった。その後は島の残り半分を車でぐるりと。どの海岸も透明度が高く、非常に写真映えした。港到着後昼食をとり、空港組、フェリー組とでそれぞれ解散。レンタカーの会社が港まで送ってくれたのは有難かった。

 

まとめ

・レンタカーを使おう

→島前も車を使えば良かったというのが正直な所。特に摩天崖の上に行けなかったのは勿体無かった。島後に関しては車無しでは観光不可といっても良いと思う。

・昼飯は早めに

→2日目昼食は港近くの大判焼き一つに(笑)。店の数も営業時間も限られているので、早めに済ませよう。

 

モデルコースがあるのでそこも是非。とにかく風景が綺麗で快適に過ごせたことは事実なので、きちんと旅程を組んだうえで行くのが良いかなと。