つづりっぷ

気まぐれ更新。いつまで続くやら……。

隠岐諸島のススメ

 たまたま知り合いが隠岐に住んでいるので、GWを利用して隠岐諸島へ。一人では寂しいこともあったので友人2人で今回は島へ。

 「本土」から島への移動方法は主に2つ。

①船

→境港or七類港から隠岐諸島へのフェリー、高速船が出ている。時刻表やら料金はコチラ参照。今回は船を行き帰り共に利用した。ちなみに境港、七類行きはそれぞれ「本土」行と表示される。

②飛行機

→伊丹、出雲空港からそれぞれ便がある。同行者は飛行機を利用した。

 

島の概要について。「諸島」となっていることからも分かるように、大きく分けて4つの島があり、うち3つの本土に近い側を「島前」(どうぜん)、本土から遠い側を「島後」(どうご、松山出身の自分にとっては妙に親しみのある響きである(笑))と呼ぶ。配置云々はコチラ参照。島前3島は内航船があり、比較的移動し易くなっている。

 

今回は2泊3日で隠岐観光を実施。1,2日目午前で島前、2日目午後、3日目で島後というような旅程を組んだ。

 

・1日目

1030頃に境港へ。水木しげるロードも少し見つつ(余裕があればこの辺りをじっくり見るのも面白いとは思う)、高速船で島前別府港へ。

別府港からバスで国賀海岸へ。浸食作用で出来た断崖絶壁は非常に綺麗でこの日のハイライトだったと思う。摩天崖の上まで時間の都合で登れなかったのは心残りであるが……。

その後は海岸からのバスが無いというアクシデント(真夏以外は便が少ない)もあったものの、別府港に戻り中ノ島へ。すでに港からのバスは無かったので、宿までは徒歩。

宿はコチラ。居酒屋が併設されており、離島でありがちな飯難民にならずに済んだ(コンビニは島後にしかない)。宿にIターンされた人も多いらしく、会話を楽しみつつ手ごろな値段でお酒も飲めたのは良かった。

・2日目

朝から後鳥羽上皇を祀っている隠岐神社、火山地形が特徴的な明屋海岸へ。バスの時間の都合上海岸滞在時間は20分行かないくらいではあったが、これまた絶景であった。

その後内航船で知夫里島へ。時間の都合上メインスポットへは行けなかったが、島内を散歩し、フェリーで島後へ。

島後ではレンタカーを使用。2日目で島の半分を一気に回ることに。名物である「ローソク岩」の夕陽は展望台からは見えないので、出来ることなら遊覧船を利用して欲しい(今回の心残り)。島後ではドラッグストアやスーパーもあり、お酒等の調達はしやすいと思う。

宿はコチラ。港から車で近く、部屋からの眺めも良かった。

・3日目

引き続き車移動。壇鏡の滝、水若酢神社といったスポットを観光。壇鏡の滝の高さは圧巻であった。その後は島の残り半分を車でぐるりと。どの海岸も透明度が高く、非常に写真映えした。港到着後昼食をとり、空港組、フェリー組とでそれぞれ解散。レンタカーの会社が港まで送ってくれたのは有難かった。

 

まとめ

・レンタカーを使おう

→島前も車を使えば良かったというのが正直な所。特に摩天崖の上に行けなかったのは勿体無かった。島後に関しては車無しでは観光不可といっても良いと思う。

・昼飯は早めに

→2日目昼食は港近くの大判焼き一つに(笑)。店の数も営業時間も限られているので、早めに済ませよう。

 

モデルコースがあるのでそこも是非。とにかく風景が綺麗で快適に過ごせたことは事実なので、きちんと旅程を組んだうえで行くのが良いかなと。

 

 

 

本を買うなら……

 「本を売るなら」は一択であるけれども(それも最近アヤシクなっているけれど)、買う場合はどうすればいいのだろうか。

 そもそも読書量が多くないので、新品の本を買う事にそこまで抵抗は無いけれども、同じ本で相当に汚れていないのであれば安い方が良い。

 高校生の時まではB○○K○FFをずっと利用していて、浪人期は月一で地下鉄に乗って100円コーナーを物色するのが楽しみの一つであった、GWの旅行で心斎橋の店舗の前を通った時、思わず中に入ってしまったのはここだけの話。そして大学生になって、定期の区間内に店舗があった時は通うのだろうとも思った。某大学と高校が全く利用しないせいでフィットネスクラブになってしまったのは恨めしい。

 というものの定期区間内の店舗が無くなってしまったことについて、そこまで困らなかったのも事実。上京時すぐにその状態ならば相当に文句を言っていたと思うが、自分でアルバイトをしたお金があったこともあって使用頻度が下がっていた。あまり値段を気にしなくなったのと、欲しいものをちゃんと買おうというようになっていたのだと思う。勿論お金にルーズなところがあるのは宜しくないのだろうけど。

いまやカイシャインになり、大学時代よりも財政状況は良くなっている。となると当然中古品のお世話になる機会が減ってしまっている。自分の購入量でどうかわることも無いが、新刊を買って作者にお金を落とそうという意識もあるので、問題はないと思っている。大人なので、コンテンツにはお金を落とそう。

 なるべくコンテンツにお金を落とそうと思っているのだけれども、ガキの頃利用していた「インフラ」としてのB○○K○FFの店舗が減っている現状もある。本にしろCDにしろ、自分の好きなものの確立にかなり貢献していたことは否めない。ほぼタダ同然で買取したものを何十倍の値段で売っているという事に関して批判的な人もいる(そういう人は人件費やらなんやらの存在を無視しているのであまり賢いとも思わないが)ので、このまま規模が小さくなるのも仕方無いかも知れないが、学生にとっては必要な場所だと個人的には思っている。小遣いで本を選んだ方がハズレを引いた時の悲しさも含めいい経験になる、とオカルトながら信じている面もあるので。自分が落とすお金は賽銭レベルではあるものの、万遍なくお金を使いたい。

 

※図書館は返却期限が守れないことがあるので、使いづらいのである()

裁量労働制も悪くはない、はず

 会社勤めも3年目。2年前の自分に今の状況を話すとしたらどのような反応をされるだろうか……。場所はどうであれこれからも土日を楽しみにやっていくのであろう(しそうするしかない)。

 「働き方改革」という事を自分が会社員になってから様々なところで言われる。「ゆとり世代」と言われてきた自分たちが働きだせば働き方改革のメリットを享受している、というのも偶然なのか、それとも一連の流れなのかは考える気も無いが、受けられるメリットは受けようという所。

 自分の会社で起きていることではないが、「残業を無くそう」という流れが数値目標の達成にこだわり過ぎてしまい(勿論数字できちんと目標の管理を行う事、効果を把握することは必要であるけれども)、仕事が溜まって残業したいのに出来ないという状態になっているという事を聞く。

残った仕事は誰かがしないといけないわけであり、勝手に無くなるものではない。それを考えると残業も必要であるように思う。勿論、残業が無いよう仕事量を調節するのが一番なのではあるが、実際の所難しいのではないか。

また、同じ仕事量でも人によって得手不得手があり、スピードが異なる(適材適所な配属ができれば良いが、人手不足やジョブローテーションの都合を考えるとそうもいかない所が多いのではないだろうか)。

こういった状況があるなかでは「裁量労働制」も使って良いように思う。同じ仕事量に対して、仕事が早く終われば帰れば良いし、遅い人はその分時間をかければ良いのである。「ダラダラ働いている人が残業代で儲ける」というような事も無くなるし、苦手な仕事があって仕事が遅い人も仕事を強制的に終わらされることが無く、モヤモヤすることなく働けるように思う。

「残業させ放題」と批判があるように、当然ながら限度はあり、バランスを取る必要がある。そもそもここまで書いた状態になってしまっている職場がそのような上手な管理が出来るかというと何とも言えないが、ここでは考えないようにしよう。

 

松山にサイゼリヤが欲しい

 個人的に松山という土地は好きで、それには当然ながら生まれ故郷補正もかかっているとはいえ、知り合いには「松山はいいぞ」(これも死んだ言い回しな気もする)と言いたい。

 いい所を挙げると多分キリがないのだが、そんななかでケチをつけるとすると「サイゼリヤが欲しい」ということになる。Twitterにも書いたけれど、新幹線よりもサイゼリヤの方が地元で暮らすには必要な、はず。

 そもそも大前提として、愛媛にはサイゼリヤがない(多分四国にない、調べるつもりはないのでその辺りの正確性は無視して欲しい)。本州九州に家族旅行した時にセブンイレブンでわざわざ買い物をしていたような時代を18年後ほど経験していた人間であるが、地元に無いものを必要以上に有難がるところはあって、自分の東大入試の前日もわざわざ渋谷のサイゼリヤで飯を食べた(ちなみに昼は2年連続でやよい軒だった)し、アルバイト先の研修の後はメンバーでサイゼリヤに行くことが恒例であった。そして地元から親が東京に来た時のご飯は(以下略)

 松山の人間は「熱しやすく冷めやすい」気質が飲食店に対しては特にあるように思うので、おそらくサイゼリヤが出来れば最初は繁盛すると思っている(信じられないかもしれないが、セブンイレブンが出来たときにはアドバルーンが上がり、行列ができたは2013年前後のこと……)。そして多分、場所を間違えなければずっと繁盛すると思う。

 個人的にその「場所」となると、ずばり交通の要所である伊予鉄松山市駅、あるいはJR松山駅だと思っている。特に個人的に後者に期待をしたい。残念ながらJR松山駅で「普段使いの人が」飯を食べられる場所がそれほどないのである。帰省の度にJRを利用するようになったが、割とこれが死活問題で、毎回カレー屋を利用するしか選択肢がなくなっている(これはこれで良いのかも知れないが)

 JR松山駅に駅ビルが建つことは無いと思っているし、仮に駅ビルが出来てもチェーン店の巣窟になるだろうし、多分松山でそれをするのは面白くはない(結局金が松山に落ちないのである、東京の郊外とはまた話が変わってくる)。それでも家族連れが飯を軽く食べられる所としてサイゼリヤくらいはあっても良いのではないか、というのが正直なところ。車に乗って行けるところという事で飯を食べる、拘りが強すぎるような気もしなくはない。

 「県庁所在地の駅に降りたらサイゼリヤ位しかなかった」というのも、それはそれでネタになって多分良いはず、多分……。

 

 

カメラが止まらない

 たまにはここにも。ほんとうにたまにもなので、次回は何時になることやら……。

 

色々な場面で写真を撮ることが多い。自分自身はそこまで撮らないけれども、遊びに行ったら景色の写真は撮るし、集合写真なんかは1枚撮ろうと毎回言う質の人間ではある。

 ここ数年、インスタやらなんやらの普及で更に「写真を撮る」ことの頻度が増えたように思う。別に「インスタ映え」を意識することが悪い事とも思わない(TwitterのTLに二次元の女の子の画像をいい歳になって挙げている方が本来よっぽど「アレ」なのである)し、実際にいい企画だなと思うものも昨年あったので、自分でもやってみようかと思う所、多分面倒くさいのでしないけど。

ただ最近多いなと思うのが、写真以上に動画の投稿だなと感じる。大人数でいるとき、どこかに「カメラマン」がいる確率が高い。別にそれをとやかく言うつもりは無いのだけれど、割と動画が残るのはキツいのではないかなと思う事もしばしば。気づいたらその場にいない人に様子が「公開」されていて、別の場で話題にされている、ということもあり割と気恥ずかしいことも……。

そもそも話題にされて恥ずかしいことをしている時点で大人としては良くないのではあるが、その場の雰囲気というものもある程度はあるということにしておいて欲しいなと思う(非常にレベルの低い言い訳ではあるけど)。今の中高生は大変だろうなとオッサン臭いことをちょっと思いながら。寧ろ彼らはそういうのに慣れてそうな気もするのかなあ。

 

 

「無理」も必要??

 「働き方改革」というようなことを言われる。また、部活動に対しても「ブラック部活」というような表現がなされることがある。今まで当たり前だと思われていた、度を過ぎた(深堀するつもりはないけれど、この手の話で「勉強のさせ過ぎ」という話は最近そこまで聞かないのは不思議な気もする。「ガリ勉」という蔑称が既にあるので今更話題にする必要が無いのかも知れないが)。とはいえ、見直しも度が過ぎてはいけないようにも思う。

 勉強でもスポーツでも仕事でも、何かを習得する、身に付ける、あるいはその質を上げるとなると恐らく一番良いのは能動的にそれなりの強度で訓練をすることであるように思う。「好きこそものの上手なれ」とはまさにその通りで、能動的に練習ができる、追求が出来る人に対して強制されている人間が勝つ、というような事は殆どないはず(「のびのび」が一番と言っているわけでは無く、あくまでも自主的にストイックにやる人が一番という話)。

 ただ、残念ながら好きな事だけやれば良いという人はほとんどいないわけで、嫌いなことをせざるを得ない場合もある。そしてそういった状況の中で、能動的に、ストイックに取り組むことの出来る人間は稀であり(お前が怠惰なだけではという意見はここでは受け付けない)、仕方なく「やらされる」わけである。

 この「やらされる」という場面で、ある程度の「無理」も必要なのではないかと思う。嫌なことである以上、手を抜くこと、(悪い意味で)楽をすることが優先事項になるわけで、自分で強度のコントロールをすることが難しい。「自主的に」追い込む場合に比べると効果結果は劣るのかも知れないが、サボってしまうよりは恐らくは意味はあるはず(極端な例ではあるが、所謂「自称進学校」も「進学校」ほどではないにせよそこそこ結果が出ているのはそういうこと)。

 「働き方改革」云々や「ブラック部活」の類にたまに思うのは、↑のような「無理」「強制」を極端に否定していないか、という点(これまた深堀しないが、「ゆとり教育」は批判する割に「働き方改革」には批判があまり行かない)。部活動を例に挙げるのならば、試合の時期が近くなった時に普段より練習時間を延長する、というようなことはあっても良いと思うが、それを「ブラック」の一言で片付けても良いのだろうか。

 理不尽なことを経験しろ、というのではなく、場合によっては「しんどい」状況を乗り切る必要があるのではないだろうか(当然「しんどい」状況がサボったツケとしての状況ではないことは前提ではあるが……)。最近の改革が必要な「無理」、あるいは自主的な「無理」も極端に否定してしまっているように思わなくもない。当然ながら塩梅には細心の注意が必要であるけれど。

 

 まあ、大半の人は今現在どこかで「無理」をしているので、これ以上何を言うかということにはなるかも知れないが……。

 

生え抜き

 たまにはこれも使わねば……。ヤクルトの今シーズンが終わりかけている中で、ツイートしづらかったことをちょろちょろ。

 どうして今の職に就いたのかという事はよく聞かれる(し、そういう風に人に聞かれた時点で話のネタとしては成功だと思っている)中で、ありきたりではあるが「地元が好きだったから」というような内容の解答をすることがしばしばある。

 実際の所なんとなく戻ってきた、あるいは周りがトーキョーに残るから出てみたというような感じでもあるのだけれど、率直にそれを言うわけにもいかないので、「地元が良かった」というような解答をする。そしてそれは大抵すんなり受け入れられたし、人によっては「偉いね」などと言ってくれる場合もあった(それはそれで意味がよく分からないのだが……)。

 つい最近、初対面の人と↑のような話題になり、同じような解答をしたところ「そもそもそれならどうして東京に一度出たのか、地元が好きならずっといる事が地元にとっても一番良いことなのでは」というような指摘をされ、初めての事であったので(アルコールが入っていたとはいえ)解答に困ってしまった。

 地元の為に何かをしたいという人間が一度地元を出てはいけないのか、いけないまでではないにしろ、マイナスに捉えられるという事があるのかということは自分の中で思いつかなかった疑問であり、しばらく(ぼんやりとではあるものの)考え込んでしまった。確かに「好きならその場にずっといるはず」という話は筋が通っているようにも思える。そもそも東京に行こうと思ったのも単純に偏差値の問題であったのは否定できないので、根本的に僕が浅い事しか考えていないということが問題ではあるのだろうけど。

 ただ、「地元に残っている人は好きで残っているのか」という事を考えていると、そうとは思えないのがあくまで経験則であるが正直なところ(全員が全員というわけではないが、割合はそこまで高くないと思う)。自分を正当化するわけでは無いが、別に出自にそこまで拘らなくても良いのではないかなあと。個人的には寧ろ「一度出て良さを再認識する」くらいの方が良いとも思わなくはない(具体的にどういえばいいのかが分からないのが自分の考えの浅さ、語彙の無さの現れれでありまた悲しいが……。)

 「初志貫徹」「首尾一貫」と言われるように、人間ブレないのが評価されるのかも知れないが、正直6年前の、部活と学校行事しかしていないようなクソガキの判断を今になって言われることは粗探しが過ぎる気もしなくはないので、気にし過ぎないようにはしたい。

 とはいえまあ、具体的にどうしたいのかをもう少し考えるべきなのだろうとは20代も折り返しなので、頭の片隅には置いておきたい。書類の山の中でその余裕があるかはさておき……。